Our History

そこで、3人はサーボバルブを持って格納庫へ入り…

1951年、数人が名案に生活を賭けることにしました。

ビル・ムーグは当時、コーネル航空研究所で、先端的航空機向け自動制御装置への応用に関する開発チームの一員として働いていました。このチームでビルの役割は高性能制御装置である実用的電気油圧式サーボバルブを開発することでした。

ビルは、以前のものより格段に優れていると思われる設計開発をし、このプロジェクトの資金提供者であったジョンズ・ホプキンス大学へ持ち込んで紹介しましたが、誰も画期的なものとは認めてくれませんでした。

ビルは翌朝までかけて図面を引き直し、自分のアイデアをもう一度練り直しました。今度こそ真に革命的サーボバルブができたという確信があったので、これをコーネル航空研究所に見せたのですが、またもや誰も関心を示しませんでした。

ビルは決して諦めませんでした。拒絶され、誰もこの装置の可能性を認めてくれないということは、逆の見方をすれば、ビルがこれを自分の発明として研究所から持ち出しても、何の不都合がないということです。早速、ビルはそれを実行したのです。古い飛行機格納庫に工場を立ち上げ、そこへ兄弟のアートも自宅を売却して参加しました。2人で友人のルー・ゲイヤーに話を持ちかけ、結果を試験し、顧客に製品説明をする仕事を頼みました。それから機械工を2人捜し、バルブが売れるまで支払い待ちで部品を作ってくれるよう説得したのです。

ところが、この製品が売れたのです。最初のサーボバルブ以降も、一つひとつ世界で最も進んだハイテク業界を支援する製品のポートフォリオが加わりました。創業時の社員には、3人の創業者のアイデアすなわち"難しい課題があるからこそ、人間は過去にないソリューションを考え、また、創造的な考えに溢れた者のチャレンジ精神を刺激するのだ。"そして、以降その考えに共感する多くの社員が仲間入りしました。